桜田門外の変 その3【しゃれこうべ】

月日は流れ、時は昭和37年(1962年)松之介が自刃してからちょうど100年経っていた。

広木家の子孫の方から『「松之介と花が井伊大老の首級を、本行寺ご本堂廊下の下に埋めた。」という言い伝えを確かめてみたい。』という話が持ち上がった。

ここぞと思われる所を掘り下げてみた所、しゃれこうべが発見された・・・

その後、この話は広木家と同じ檀家であり、当時桜田烈士奉讃会会長でもあった三木啓次郎氏のところへゆくこととなった。

啓次郎翁はその骨を井伊大老のものと断定する。翁は彦根へ何度も赴き、当時彦根市長をされていた井伊家へ返還を申し出たが、断れ続けたという。(奇遇にも、NHKでは第一回大河ドラマとなる、井伊大老の生涯を描いた「花の生涯」を放映していた。)

御年90を越えていた翁にとって、この件は唯一の心残りとなった。

昭和43年、翁はついに水戸で供養塔を建立し、大老の御台霊を慰めることを決心する。
それが、妙雲寺の供養塔である。

続く・・・