【コミュニティ:心の復興について】

私は一介の営業マンである。
 
年度末ということもあり、日々慌ただしく生活をおくる中、現状を書き留めておきたくなりキーを敲いております。
 
この前の日曜日に、1年ぶりに高校の同級生と飲みました。
こいつとの付き合いは30年にも及ぶ。
気を使わず、何でも言い合える仲だ。
 
震災前はひと月に1度は会っていたのに、震災直後からは、仕事や家族が優先で会う余裕が全くありませんでした
 
会うなり会話は、やはり震災のこと・・・
「あの大きな揺れのとき、どこにいたんだ?」「家族は大丈夫だったか?」「職場は大丈夫だったか?」などと続く・・・
 
 
彼は我々の治安を守っていてくれる警官だ。海沿いが担当のエリアだったため、ショッピングセンターをはじめ被災している箇所のパトロールのため、1ヶ月はまともな休みが取れなかったとのこと。
家の屋根瓦も崩れ落ち「しばらくは不自由な生活を余儀なく強いられた」と言っていた。
 
私も異動を命じられ職場が変わり、半年で5回もデスクが変わったこと。
慣れない仕事で苦戦していること。
震災後、再発したガンで母が亡くなったこと。
など、この1年を簡単に報告した・・・
 
30年来の仲間・・・
相手の顔を見れば、どのようなことを考えているのか?なんとなくわかる・・・
 
あっという間に時間は過ぎてゆく・・・
辛かった話を一通り話し終えると、次は未来の話となった。
 
彼は今ハイキングにはまっており、私を尾瀬に連れてゆきたいらしい・・・
高校大学と山に登っていた自分にとって、山は「歩く」ものであり、駆け巡る「トレイル」はどうしても馴染めないでいた。
 
そんな私の性格を彼は読み取ってくれたのかはわからないが、この魅力的な話しに、心を動かされたのは言うまでもなかった。
 
「少しずつでいい、自分のペースで、前を向いて歩いてゆきたい」と、そう思った・・・
 
 
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震災後、生活の場を追われ避難生活を強いられている人たちにとって、大切なことは「コミュニティ」だと感じている。
自分のことを理解してくれ、語り合う仲間がおり、笑って話し合える場が希望を持つことに繋がるのである。
どんな辛い境遇に置かれようが、分かり合える仲間が一人でもいれば人間は強くなれるのである。
 
 
母が亡くなる前、入院していた病院を、我々兄弟が住んでいる地区へ強引にでも移そうとしていた時期があった。それについて、母は最期まで首を縦には振らなかった・・・
 
 
あの考えは間違っていたのである。
 
 
母としては、気心が知れた仲間が見舞いに来てくれることがうれしかったのである。
一緒に苦労を共にしてきた近所のおじさん、おばさんが傍にいることが、何よりも安心であり、いい薬だったのである。
 
 
これから東北三県での復興が始まるが、取り違えてはいけない。
大切なのは「コミュニティ」だ。
 
 
「心の復興なくして、真の復興はない。」