◇悠々たる時空を超えて~(185年前からの書き伝え)part 1

((昨年度はお世話になりました。今年もよろしくお願いいたします))

 長かった年末年始の休みもあと1日となってしまいました。

この連休中に「自分のルーツを調べる」という新年の目標を立てたので、とりあえず気になったことを書いていこうかと思っています。

 

 この連休中、大掃除は大晦日にすませました。今年は天気もよかったので要領よくことが進みました。年に1度ですから、日頃出来ないところも綺麗にします。ご先祖様の位牌とご本尊様もそうです。

 

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ご本尊様です。


 うちには仏壇がなく机の上に置いているので埃がつきやすいため、布で丁寧に拭き取ります。ご本尊様を手に取って作業をするので、その底に文字が書いてあることに気がつきました。

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ご本尊様の底です。

 

 天保7年(1836年)江戸時代後期185年前のご先祖様の文字です。

崩し字なので解読が難しいです。ただ、中国語と同様に文字を眺めているとなんとなくイメージが出来ます。

 

「人の心というものは煩わしく危うい。道徳心はほとんどなくなり・・・」

(あまり良いことではなさそうです)

 

 少し調べてみると、天保年間には天保の大飢饉が起きており、信州のお隣の甲斐国では一揆がありました。その一揆というのが、以下の通りです。(日本大百科全書

 

「国中の一揆衆は、打毀の先々で貧農層のほか、村役人層をはじめ日雇人、無宿者、浪人、神主、修験者、被差別部落民も加わって、武装された甲府勤番士や、代官所の役人らと交戦してこれを退けて打毀を続けた。

 一揆衆の数は数万と概算され、その行動区域は国中地方中心部の全域にわたり、甲州街道筋では信濃(しなの)(長野県)境までに及んだ。打毀の対象は米穀商、質屋、酒屋、太物(ふともの)屋、大地主、豪農などで、それらのうちで金品、酒食、武器などを提供してその難を免れた者も多かったが、打毀された村数118、家数319に及んだ。

 幕府は信濃の高島藩、高遠(たかとお)藩、および駿河(するが)(静岡県)の沼津藩よりの出兵約900をもって鎮圧を図った。

 この事件は、いち早く江戸の瓦版(かわらばん)によって各地に伝えられ、水戸(みと)藩主徳川斉昭(なりあき)はこれを契機に、幕政改革を促す建白書をしたため、大坂の大塩平八郎(おおしおへいはちろう)は、この事件から強い衝撃を受けた」と書いてありました。

 

 せっかくなので、この文字の解読が出来るか?長野歴史館へ問い合わせのメールを入れました。その返事がどうであれ、また続報として結果を連絡させていただきます。

 

なぜ、ご本尊の底にこのような文字を書き残したのでしょうか?